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当院についてAbout

診療理念

01

怖くない歯医者さん

私たちはこれまでのような、「痛い」「怖い」「行きたくない」
というイメージの歯科医院ではなく、患者さんが「楽しく」「喜んで」
行きたくなるような歯科医院になりたいと思っております。
そのために、私たちは予防中心の歯科医院になりたいと考えております。
あなたが抱える悩みや疑問にはあなただけの答えが用意されています。

その答えを見つけるために一番大切なこと、それはコミュニケーションです。
治療に際しましては、十分な説明をしたうえで、はじめさせていただきます。
患者さんとのコミュニケーションを大切にした医院にしていきたいと思います。
患者さんの笑顔と笑い声が絶えない、そんな歯科医院を目指し、
ご自分の歯を健康に保つことによって皆さんの人生がより素晴らしくなる、
お手伝いをしていきたいと思います。

歯科に関する悩みやご相談はお気軽にお話ください。
その一言が私たちと皆さんの距離をぐっと近づけることとなり、
より良い診療を受ける近道となることでしょう。
みなさんの笑顔を楽しみにお待ちしております。

02

尊敬と信頼
—インフォームドコンセント

インフォームドコンセントという言葉が良く使われるようになりました。
日本ではインフォームドコンセントを「説明と同意」と
解釈することが多いようですが、本来は「尊敬と信頼」と
解釈するのが正しいと聞きました。

説明を行うのではなく医療人として尊敬され、
しかも信頼される人になるということです。

人が持つ本来の生き方、快楽を求めて痛みを避ける。
つまり好きな人々と一緒に方向を決定し、
その方向をお伝えすることでお互いの信頼とそして一貫性のある、
的を絞った説明によって尊敬が得られるということです。

患者さんを思う最高の医療を提供することが免疫力の向上に繋がります。
私たちはそのお手伝いをして一緒に元気に笑顔で生活できる環境を作ります。

あくまで主役は自分自身であるという人生の基本を
理解していただくのもインフォームドコンセントの基本でしょう。

私たち、まちの歯医者さんは、ただ説明し同意を求めるだけでなく、
尊敬され信頼を得る診療を心がけています。

ごあいさつ

みなさんこんにちは、まちの歯医者さん
ちょんまげ先生こと 犬飼 健 です。

皆さん”歯”にどのくらい関心をお持ちですか?

「歯は、あって当たり前、歯磨きさえしていれば抜ける事なんてありえない。」

なぁんてお考えの方も多いのではないでしょうか。

私ども“まちの歯医者さん”は予防という言葉をよく使い、みなさんに推奨しています。
なぜ、予防が大切なのでしょうか。それはご自分でしっかり歯を磨いていてもだんだん悪くなってしまう事がしばしばあるからです。

私はよく言います、
“まちの歯医者さんに来て、私に診てもらうのは最悪なことだよ”と。

歯医者に来て先生が見るのは最悪??

そう、まちの歯医者さんで先生に診てもらうのは最悪な事です。
それなら誰に見てもらいに行くの?とお考えの方も多いと思います。

私が歯を削ったり、詰めたり、処置をする事は皆さんを傷つけているのです。
どんなに腕の良い歯医者さんでも、元とまったく同じ物は決してできません。元の歯に限りなく近づけることしかできないのです。
だから私たちは皆さんの歯を削りたくないのです。

しかし、悲しいかな私どもが削らざるを得ない、虫歯を作ってしまったかたが毎日通われているのが現状です。

なので皆さんにお話します、
「歯科治療を完治させ、お口の状態が良くなった時からが本当の治療ですよ」と。

そして、まちの歯医者さんに歯をクリーニングしに行く。
こういった方が増えることを希望します。

たとえば美容室に髪を切りに行くときは、「どんなふうに綺麗にしてもらおうか」とか「さっぱり気持ちよくなりたい」などと
思って出掛けるかたがほとんどだと思います。そんな気持ちで歯医者に行けたらどれだけ幸せなことでしょう。

そんな幸福を呼ぶ“まちの歯医者さん”になるために、私たちは毎日真面目に一生懸命がんばっていきたいと考えております。

理事長経歴

  • 1996年 松本歯科大学 卒業
  • 2006年 まちの歯医者さん
    • やまと歯科診療所 開業
  • 2015年 まちの歯医者さん法人化

所属学会等

理事長 犬飼 健

歯医者になったきっかけ

私の家は歯医者一家でした。

祖母犬飼 房江先生が昭和3年に犬飼歯科医院を開業し、その後 父であります犬飼 啓元先生が後を継いでいます。また、私の叔父(父の弟)犬飼 康元先生も現在、松本市沢村にて犬飼歯科医院院長として歯科医業に従事しております。まさしく歯科医師一家に産まれた私は、いつの間にか歯科医になる事を夢見るようになりました。

遊ぶところは診療室のチェアーに座りライトを操縦桿とし隣の弟に水をシューっとかけて遊んでいました。(もちろんその後には大目玉を食らいましたが-)

そんな普通に歯科医院がある生活を過ごし、遊びを通じて歯についていろいろと興味を持ち始めたのは確か中学生になったころでした。石膏を練ったり、銀を溶かしては型に流し込んだり、さまざまな遊びをしているうちに私は歯医者になってみたいと思うようになりました。

学生時代に学んだこと

全国的にも有名な開智小学校の3年生の時から7年間剣道をしていました。また、祖父が松本に地に初めてボーイスカウトを広めたということもあり、私もキャンプや募金活動などいろんな経験をさせていただきました。

県立田川高校に入学すると、今度は弓道にのめりこみ、正月1日から弓を引いていたのは良い思い出です。弓もまた祖父の影響があり、昔からこの弓で的を当てたんだと祖父が誇らしげに話していたことを思い出します。新設校で歴史も浅かったのですが、すばらしい先生と出会い、みるみる上達し個人戦で長野県2位になるまでとなりました。この時から真剣に一生懸命やり通すことの大事さを身につけました。

大学に入っても漠然と歯医者になるんだー、としか考えていなかった私が一転してアメリカンフットボールにのめり込みました。アメリカンフットボールは一つのボールを一回ごとに戦術を決め少しづつ前へ進める陣取り合戦で、相手の弱点を見つけ、プレーヤーが一丸となってゴールラインを目指すというスポーツです。今までチームプレーを知らなかった私は、この時からチームプレーの大事さを学びました。

その甲斐ありまして入学時より体重が25キロも増え、母親は“家の息子は首が富士山のようになりました”と話している時は何も言えませんでした。今でも後輩の指導に足を運んでいます。

授業の成績は低空飛行をしながらもなんとか6年に上がっていったという感じでしたが、幸い実習は家での手伝いをしていたこともあり、ほぼ学年でトップクラスにいました。なので実習の時間は楽しくて仕方ありませんでした。

卒業目前になり国家試験の勉強をした時は、友人にも助けられ毎晩遅くまで勉強したことを思い出します。そして本当に勉強するということを思い知らされましたし、逆に勉強の楽しさも実感しました。

新米歯科医師時代

卒業してすぐに川崎駅前の佐藤歯科に就職しました。歯医者になりたての私はすぐに患者さんを診ることはできません。抜いた歯を集め一日中、それを削っては詰め、神経を抜いては詰め、現在の基本となる技術やいろんなノウハウ、テクニックを教えていただきました。窓際の机で目の前に鳩が来ては私を応援してくれたことを今でも懐かしく思い出します。

そして佐藤歯科の分院、あざみ野にありますエンゼル歯科に配属され3年間みっちり現在の基礎を作りました。勤めると、しゃべることの得意だった私は治療は別として患者さんとのコミュニケーションはかなりとれていたと思いました。

そんなある日、中学生の患者さんの男の子が修学旅行のお土産を持ってきてくれました。その時に“僕も先生のような歯医者さんになりたいよ”と言われ感激しました。それと共にもっともっと頑張って本当に良い歯医者になろうと誓いました。

松本に帰って

まず松本に帰って思った事は機材の違いに戸惑いました。技術の違いにより使用する機材や材料は違います。それに伴いまずはいろいろな材料の調達をしましたし、このときにデジタルX線の導入に踏み切りました。都会の患者さんと田舎の患者さんに違いはありませんが言葉をやわらかく話すために松本弁での治療がこの頃から始まりました。もともと、ド田舎者の私ですから、すぐに田舎言葉はべらべら出るようになりました。これにより会話の幅が広くなり患者さんとのコミュニケーションに役立ちました。

また松本に帰ってからすぐに和田にあります、との歯科医院の中田先生にもお世話になりました。週に2日程度でしたがめまぐるしく忙しい医院でまた違った一面から患者さんの治療に関してご教授いただきました。このころから矯正を本格的に勉強させていただき、いろいろなお手伝いをしながら矯正のノウハウを叩き込まれました。矯正は歯科大学を卒業したからできるものではありません。したがって卒業後にいかに勉強するかによって習得します。現在は長野県矯正研究会、SRSM研究会にて日々勉強しながら自分のスキルアップに心がけています。

そのほかに寿台にあります小島歯科医院の小島先生にお世話になりました。こちらでは先生がご病気をされ、その期間1年半ほどですがお世話になりました。もともと入れ歯の方が多く、入れ歯の修理や調整、新しい入れ歯の作成に時間を費やしました。この期間でかなりの入れ歯を作ったと思います。入れ歯はご自分歯と違い異物ですからその異物と歯肉がこすれ合い痛みが出ます。また、すべてがフルオーダーメイドですから(当たり前ですが)こちらの方が調子良かったらこちらの方も調子が良いとはいきませんし、使っているうちにだんだんなじんできたりですとか、本当にいろいろな症状がでます。また、年配の方が多くなりますのでその方の訴えを歯肉に問いただしながら調整をします。その甲斐ありまして連日かなりの方の入れ歯を見ることができました。

このような経験をつみながら、平成18年2月に合併により松本市となった梓川倭地区にて“まちの歯医者さん やまと歯科診療所”を開院いたしました。この診療所を中心に地域の方々に歯を通じて健康でいることの大事さをお伝えできればと思います。

患者さんに優しい歯科診断へ

当院では患者さんが安心して治療に専念できるよう、無痛治療や清潔な消毒、を心がけております。